こんにちは。
日曜日のサザエさんを観ていると、死が近づいている予感がするおふとんけいです。

いつもぐーたらな記事ばかりあげているのでとても言いづらいのですが、今回は少しだけまじめな記事です。

まくらさん
まくらさん

オフティーヌのことを知るには「死」を避けては通れないわ!

私と死のはじまり

私は土日だけとっても早起きをする小学生でした。
土日は自分の好きなことがなんでもできるからです。
だったら早起きしたほうが好きなことをたくさんできると思っていました。

今考えると小学生の頃から「死にたい」の兆候があった気がします。
日曜日のサザエさんを観ると気持ちがどんよりしてくるんです。心はもうサラリーマンです。

このどんよりを「死にたい」という言葉で表現できるようになったのは中学生に入ってからでした。
明確に「死にたい」、と事あるごとに考えるようになりました。

私が死にたいと考える時には必ず明確な原因があります。
「なんだか死にたい気分だなあ」というようなあやふやな「死にたい」は一度もないのです。

この時期の死にたい原因は、習い事のクラシックバレエでした。
バレリーナになるために帰宅部に入り、学校が終わると一時間ほど電車に揺られてバレエ教室まで通っていました。

バレエが大嫌いだったので「電車に轢かれたい→轢かれないと電車に乗ることになる→電車に乗るとバレエ教室に着いてしまう」
そんなふうにループして考え、電車に乗ってしまったら「今日も死ねなかった。教室行きたくない」と帽子を目深に被って泣く日々でした。

まくらさん
まくらさん

ちょっと待って!いくらなんでも暗すぎないかしら…

おふとん
おふとん

ね。でも今でも鮮明にこの頃の気持ち、覚えてるんだ。全く風化せずに心の奥底に落ちてる

私と死の思い出(良い話)

死にたい気持ちというのは一度考えることを覚えると、些細なことでも死にたいと思うようになります。
みんなは違うかもしれないですが、私はそうでした。

今思い出すとずいぶんと死に近づいた出来事ばかり。
しかもその出来事は若い時のことが多く、純度が高く凶暴な「死にたい」でした。

そんな「狂おしいほどに死にたい」の思いに寄り添ってくれた人たちがいます。
その時の思い出をぜひ聞いてください。

静かに寄り添ってくれた友達

クラシックバレエのつらみは高校生になっても続きます。
その日も学校終わりにバレエのレッスンが待っていたのですが、
「もう今日は行けない、生きてたら行かなきゃいけない。じゃあ今すぐ死のう」ということで、持っていた鎮痛剤を全部飲むことにしました。

「これを飲めばもう死ねるんだ。嬉しい」と喜びに浸っていたら、友達が話をしにこちらへ来たので他愛ない話をしました。
話が切れて長い沈黙が続いたので、
「これからさ、鎮痛剤飲んで死のうと思ってるんだ」と言ってみたのです。

まくらさん
まくらさん

突然すぎるわー!!!

少しの沈黙の後に
「死んじゃだめだよ」と友人が荒ぶりも悲しみもなく、ただそう言ったんです。

「そうかな」と私。

「そうだよ」と友人。

「じゃあやめようかな」
「うん、やめなよ」

友人との会話はそれで終わりでした。
たったこれだけでしたが、私の隣に優しく寄り添ってくれていることを感じられて、死にたい気持ちが一気にひいてゆくのが分かりました。

おふとん
おふとん

これをしっかり思い出したのは高校を卒業してからなんだよね。だから友人にはいまだに感謝の言葉を伝えてないんだ

まくらさん
まくらさん

淡々と言葉を紡いでくれたのがよかったのかしらね

おふとん
おふとん

うん、心を優しく抱きしめてくれた気がした。手に鎮痛剤の箱を持ってベランダに足を投げ出しながら話したのを覚えてるよ。曇り空の放課後でとっても暗かった

危機一髪!ゴッド降臨

自分の部屋にいる中学生の私は、もう今すぐ死なないといけない感じになってました。
涙が止まらないんです。何を考えても行き止まり。死ぬしか進む道がないんです。だって他の選択は行き止まりですからね。
体の全ての細胞が「早く!明日が来ないうちに早く!」と叫んでいて、急いで飛び降りようと窓の網戸を開けて身を乗り出した時、

L’Arc-en-CielのDIVE TO BLUEという名曲がラジオから流れてきたんです。

「私の好きなDIVE TO BLUEだ。大好きなラルクだ。いい曲だよなあー」
大泣きしながらいつの間にか飛び降りるのをやめていました。
でも辛くて。
でもこの曲を聴いたら死ねない。私にはまだ美しいと思える心があるから死ねないんだ。

おふとん
おふとん

ラルクは言葉通り命の恩人!今でも私のゴッド!!!命を繋いでくれたから50代のあなたたちに会える!

まくらさん
まくらさん

それにしてもずいぶん出来過ぎた話だわ。本当の事なの?

おふとん
おふとん

私も嘘なんじゃないかと思ってるけど本当なの。だってあの時の苦い涙の味は今でも舌にいるよ

いつも隣にいるあなた

これは今の職場で働き始めてから数年経ったある日のことです。

私の働いている会社は今でこそゆったり仕事ができるようになってますが、一時期はWeb業界の悪い部分が集結したようなブラックぶりでした。
定時で帰れることはほぼなく、毎日3、4時間の残業、家に帰れないことも多く地獄のような日々が続いていました。

この日もすでに残業続きでさらに徹夜明けのような、精神的にギリギリの状況で働いていて、そして今日も全く仕事が終わらない。家に帰れそうもない。
キーボードをカタカタ打って仕事をしながら涙がどんどん出てきて止まらない。
泣くのはヤバイと思い仕事に集中しようとするんですが、体中から声がするんですよ。
「辛い辛い。死んだほうが絶対楽になる。死ぬしかない」
で、どんどん涙が出てくる。
今すぐ首に包丁を刺したい。あそこにある包丁を刺すだけで仕事をしなくてよくなる。

この精神状態はやばい。緊急事態だ!となりましてね。スマホを持って「コンビニ行ってきます」で玄関外の通路に出て夫に電話しました。

「夫よごめん、もう無理になっている。すごく辛い。死ぬことにした。ごめん」と私。
「大丈夫?もう帰ってくれば?」と夫。
「仕事が終わってないから帰れないんだ」
「じゃあもう辞めるのはどう?」
「辞めたら給料もらえないからやるしかないの。でもつらいの」
「そうなの?でも帰ってきたほうがいいんじゃない?」
「いや、がんばらなきゃいけない」
「そっか。じゃあお家で待ってるから帰ってくるんだよ」
「うんわかった。つらい」

おふとん
おふとん

すぐに話を聞いてくれる人がいるってすごいよ!しかも帰るのを待ってくれてるんだから

まくらさん
まくらさん

想いを受け取ってもらえるだけで楽になることあるわよね。死なないでよかったわ

おふとん
おふとん

うんよかった。でも5階から身を乗り出して「ここから落ちても死ねる」って考えながら電話してた。あぶねーあぶねー

「死にたい」と考え続けて強くなった

30代になり、もっと冷静に「死にたい」と考えるようになりました。
10代20代の頃にあった凶暴な感情ではなく、問題に対する一つの大切な選択肢というような捉え方です。

例えば仕事を「今すぐ辞めたい」と考えた時に次の選択肢が出てきます。

  1. 「辞めたい、今すぐ」と伝えて即刻辞める
  2. 転職サイトを見てみる
  3. 死ぬ

そして選択肢に対してこう考えます。

  1. 今すぐ辞めたら給料が出なくなって家賃が払えなくなる。すぐには辞めれない
  2. 転職サイトを見てよさそうなところがあっても、また同じようなブラックだったらどうしよう。転職活動だけでも大変なのに大変の先がブラック…
  3. うむ、死ぬしかないな。この選択肢があってよかった

だいたいの選択肢って行き止まりなんですよね。
そもそもネガティブな感情の時に良い選択肢なんて出てこないんですよ。
そんな時に「死ぬ」が選択肢に入っているだけで、気持ちの行き止まりがなくなるんです。

逆に「死ぬ」選択肢がないと、もう行き止まりになるので死ぬしかなくなります。
死に対して考えよりも先に体が動く衝動的なやつです。
この衝動的な死は、若い頃に体験した凶暴な感情の先にあるものなのだと思います。脳がスパークする感じの。あれはやばいです。

だったら初めから「死」を選択肢に入れてしまうとよいです。
そうすると、「死」に対してゆっくりと向き合えるようになります。

たとえばどんな風に死にたいのか、死ぬために必要な道具はなんなのか、どこでいつどんな風に死にたいのか、死んだあとの処理はどんな感じなのか。

おふとん
おふとん

こないだはそういう人たちが集まる掲示板まで見にいったわ

まくらさん
まくらさん

これを見てるみなさま!だんだん流せないような話の流れになっているから、話半分で聞いてほしいわ。本当は死ぬことを考えるなんてしちゃだめよ。悲しくなるわ

どれだけ考えても辛くても明日は来るんですよ。
朝起きた瞬間に「早く家に帰りたい」と思うんです。
「死にたい死にたい」と思いながら仕事に行くんです。明日も明後日も。

でも「死にたい」と考えているうちは生きているんですよね。
だから飽きずに死ぬことを考えたいんです。

私の中ではまだ「死にたい」感情の対処方法に答えがないのです。

私が死なない理由はこの世にゲームと痛みがあるから

死ぬ手前まで行った体験談を少し書きましたが、死ななかった理由が一つありまして、
痛いかもしれない」と考えるからです。

人が痛みを持った理由は自殺をしないためなんじゃないかなあと思うのです。
ここから飛び降りたら痛いかもしれない、包丁で刺したらきっと痛いよね、と考えると実際に行動に移せないのです。

ちなみに痛みがなさそうな死に方は、「銃で頭を撃つ」ではないかなと思います。
痛みを感じる部分を撃ってしまえば痛みは感じないんですかね、でも脳に到達するまでは痛いかもしれない…。

おふとん
おふとん

そもそも頭を撃っただけで死ねるんかね?脳がない人間って生き物ではなくなってただの肉の塊になるの?

まくらさん
まくらさん

そんなこと考えたこともなかったわ

おふとん
おふとん

死ぬことをいつも考えてるからな!

あとはゲームがあるからね、死ねないよ。
まだFarCry5やってないし!ニンテンドースイッチで「牧場物語」が発売される瞬間見たいし!(発売されるよね?ね?)

私の生を繋ぎとめているのはゲームだよ。ゲームがあってよかった。
生きてて楽しいなあと感じることってゲームしかないわ。

終わりに

人はみな「死にたい」と考える生き物なんだと思っていたんですが、
私の夫は一度も考えたことがないそうです。そんな人いるんだ。
選択肢が行き止まりの時どうするんだろ。

あなたは「死にたい」って考える人ですか?

私は考えない日のほうが少ないぐらい考えます。
だから生きています。
これからも「死にたい」と思いながら生きたい。死にたい。生きたい。死にたい。生きたい。ゲームしたい。

死なないでよかった出来事その一

「死にたい」と考え続けながらも「生きていて本当によかった」と思う瞬間がよくあります。
今回は2つご紹介!

旅の一コマ。雪山の夜は孤独を感じれるフィールド。どこまでいっても雪山。

「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」をプレイできたことですね。
今までいろんなことがあったけど、死なないでよかった。このゲームに出会うために死ななかったんだ。
ありがとう私。生き抜いてくれてありがとう。

死なないでよかった出来事その二


先日一歳の子供からもらった母の日のプレゼント。
コップに3つのシールを貼ったんだって。
そう、制作の99パーセントは、毎日子供と親の相手をしながら雑務もしつつ汗水垂らしながら頑張っている保育士さんたちが作った作品!
なんだか申し訳なくなっちゃうw

でもね、生きてるとこんなことがあるんだなあ。
私のお腹から出てきた人間が、シールをコップに貼って、その作品が私の手元にあるんですもの。

生きててよかったって思うよ。ほんとに。

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