ごきげんよう、おふとんです。
この記事は「軟口蓋裂の息子との記録」を小分けにして記事にしています。
軟口蓋裂の記事をまとめたページもあります。ご利用くださいませ。
今回は息子が産まれてからNICUに入院するまでのお話を聞いてください。
ただよく考えると軟口蓋裂とは何も関係がない、私の出産記録なので
お時間があれば読んでください〜(長いし)。
前駆陣痛だと決めつけてやばい思いをした
2017年の春、その日は19時ぐらいからなんだかお腹が痛かったのです。
何かの食べ物にあたった?という痛みで、まあよくあるような痛みでした。
22時ぐらいになると少し定期的な痛みになっていた、のだけれど、
これは胃腸炎かもしれない…(怖い)という感じでした。
私は過去に急性胃腸炎の痛みで立てなくなり、父親にお姫様抱っこ(不覚!)してもらいつつ車椅子で診察室まで移動するということをやらかしているので、
とにかくお腹らへんの痛みに敏感。あの痛みはマジでやばい。痛すぎて途中の記憶がない。
ただ23時をすぎたあたりから
これはまさか前駆陣痛というものかもしれない!陣痛の予行練習やーふおおお!
ということで、前駆陣痛のことを改めてスマホで調べ始めたりしていました。
夜中の2時あたりになってくるともうね、けっこう痛くなってきましてね。
痛みに強いことで定評のある私は
ふむ、前駆陣痛というものは随分痛いものなんだなあ
と陣痛だとは全く思わずに耐えていました。
なぜこんな客観的な感じなのかと言いますと、出産予定日までまだ3週間もあったからなのです。
しかも先日区で行なっていた「勉強会」的な場所で
陣痛はその時になれば必ず”陣痛”だと分かります。だから安心してね!
と言ってたんですよ!助産師さんが!必ずですよ!
だからこれは陣痛ではないなと私の心は言っていたんですよ。
痛みも規則的な感じがしたけれど、前駆陣痛だしお腹が痛い時って波があるからソレだなあと思っていました。
うんちが出そうな感じだったので何度かトイレに行ったのだけれども出ない…。
ひとまず夜だし、ていうか眠いし。
前駆陣痛に耐えつつ眠ることにしました。
何かあったらすぐ起こすように!ていうか大丈夫?
と夫に言われつついつも通り一緒に眠ったのです。
夜中の3時ぐらいになると痛みで眠れなくなっていました。
間隔は6、7分ぐらいで痛みの波が来ます、でも眠い。
眠っては6、7分の痛みの波で起きてまた眠っては…を繰り返し。
よく眠れぬまま朝の5時に。
これ…まさか陣痛なんじゃ?
ここにきて初めて疑いを持ちます(遅い)。
ただ、病院へ行って陣痛じゃなかったら看護師さんに怒られそうだしなあ…
もう少し様子を見ようと考え、病院が始まる9時になるまでひとまず待とうと思いました。
9時になったら痛みがおさまるかもしれんし!と考えましてね。
前駆陣痛はそこまで長く痛みは続かないって書いてあったしおさまってくれーという感じでした(まだ前駆陣痛の可能性のほうがあると思っている)。
けれどうんちが出そうな感じは相変わらず続いていて、トイレに行っても出ないを何度か続けているうちに
あれ…赤子が出るときのいきみのやつじゃない?…あれ…やばくないかこの状況…
とうことでね、今!すぐに!病院へ電話や!って突然危機感が出て来たわけです。
これはやばい…
「定期的」の概念を考えすぎて、とうとう動けなくなる
そんなこんなで8時半。
お腹の痛みを感じ始めてから、いつの間にやら13時間ぐらい経っておりました。
陣痛かもしれない(まだ確証はできない)とやっと絶妙な認識ができたはいいのですが、
痛みがかなりやばくなっていて、波が来た時には動くこともしゃべることもできないぐらいになっていました(…動けないやばい)。
病院に電話すると
痛みが定期的だったら来て
と言われたのだけれど、
『定期的』かどうかが分からない。
定期的ってどれぐらい正確な定期的?
5分、次の感覚が6分だったら1分も違ってるから定期的じゃないってこと?
どのぐらい厳格に考えなければいけないの?
もうここらへんは痛みで馬鹿みたいな思考回路になっています。
『定期的』とは?
概念からまずは考えなければいけないじゃん。
ここらへんの概念は病院ごとに違うのか?
何の基準を持って定期的を測るんだ?
考えれば考えるほど分からん。
もうね、はよ病院に行ってほしい。
今思い出すと定期的に間違いないのに、どうしてこんなに用心深かったのか不思議でならないw
こんなに痛くても、もし陣痛じゃなかった時に看護師さんに怒られるのが怖いという感情のほうが大きかった私はチキンです。
あと陣痛は必ず”陣痛”だって分かるって言ってたし!
ただもう痛すぎて自分で間隔を記録することすらできなくなっていました。
スマホを握ることができない。
寝ている夫を起こして、私が「痛い」と言ったら記録してもらうということになりました。
計ってみると間隔は3〜4分になっていた。やばすぎる。
『定期的』の概念を考えている場合ではない。もう産まれる気がする。
陣痛ってこれ?だよね?(まだ疑ってる)
病院に「今から行きます」と伝え、夫には妊婦タクシーに電話してもらいました。
波が来ない3〜4分の間に入院の準備を整えてゆきます。
突然のことで入院準備なんてしていなかったのです。
波が来ない時間が短すぎてすぐ動けなくなります。
パンツが真っ赤になるぐらいの血も出てきたもんで
まじでやばい。まじで動けない…
本当に怖くなった瞬間でした。ひとまず夫がすぐ近くにいてくれてよかった。
産褥ショーツに履き替えるのも痛みでなかなか進まず。
真っ赤な血がべったりついたパンツを放り投げつつ、波が来ない時間を駆使して外へ出た。
けれどすぐに波が来て玄関扉の前で動けず。
それを何度も繰り返してやっとタクシーへ!
たった数メートル移動することさえもままならなかったです。
人格の維持に集中しながら即分娩台へ(つらい)
病院へ着いたものの、先生がまだ来てない。朝だしねえ、ということで。
待合室のソファーで夫と待っていたのだけれど、痛みがマジでやばい。
「マジでやばい」しか言えない。マジでやばいんや。人格が変わりそうなぐらいにはやばい。
もうのたうちまわるほど痛かった。大声をあげたい。
でも近くには普通に検診に来てる人もいるし。
私は大人ですからね、耐えます。
人格の維持に全神経を集中…人格がやばい。やばいw
先生がやっと来て診察台に乗りました。
おまた血まみれ。おまたを少しいじったら一気に破水したようでした。
羊水がめっちゃ汚い色をしていたっぽい
(結局見れず。というかもうそれどころじゃなかったし記憶が曖昧)。
これはもう産まれるよってことで2階の分娩台へ向かうことになったのだけれど、
とうとう痛みで気を失いそうに。痛すぎる。
下半身裸のまんま先生の腕に全体重を預けながらwなんとか分娩台へ!(もうここらへんは記憶が…)。
で、分娩台に乗ったら乗ったですぐ処置が始まるんかと思ったのに先生がまたいなくなってしもーた。
助産師さんたちものほほーんとしてて「まだいきまないでねー」と言う始末。
こちとら痛すぎて陣痛が来るたびに「うおお」「痛いー」「ああー」「いきみたいー」って声を出すことで痛みを軽減してたら
陣痛始まったら声出さないで呼吸に集中!いきむと赤ちゃん辛いから!まだ我慢!
と何度も怒られました。ひどい…痛い…。
体中から
早く産んでくれー!いきんでくれー!!ほらー!!早くー!!!
って痛みとともに怒鳴ってくる感じ。
これが数分おきに何十秒か波のように来るんだけど本当に辛かった。
いきめないのがきついというのはそよ風の噂で聞いてはいたのですが、これが例のそれかと。
ていうか絶妙にいきんでた。もう無理。もう産まれる…!
でもそんな切迫した感じは私だけで、助産師さんたちはまだのほほーん。
夫は横になっている私の頭上から心配そうに見ていてくれていました。
私は分娩室への同伴希望でした。
夫はたまに声をかけてくれつつ、ただ優しく見守ってくれていました。嬉しかった(実はあんまり覚えていない)。
いきみ方を褒めて伸ばすゴッド(先生)
「そろそろだね」という助産師さんの一声で先生登場。じゃーん!
リーサルウェポン!神よ!すごいボス感!
痛みきたら教えてね
きたきたきましたー!
はい!めいいっぱい力入れていきんでー!そうそう上手だよー!(褒め上手)
この流れを三回ぐらいしたところで、なんと今まで、なんだったら夜中からずっとあった陣痛が突然おだやかに…。
「ああー陣痛落ち着いちゃったね」ちょっと待とうかね、ということで突然の休憩。少ししてまた陣痛が定期的にくるようになったので
じゃあさっきみたいに陣痛来たら教えてね
きたきたきましたー!
頭出てきたよー。あともうすぐ!いきむのすごく上手だよ
きたきたきましたー!ふんぬー!ふんぬー!
あとひと押し!がんばれ!
なああああああ!(気持ちは「クリリンのことかー!!」)
どぅるん
はい、おめでとう!!触っていいよ
指らへんをさわさわ(疲れて何も感じない私、というかよく覚えていない)
写真撮る?旦那さん写真撮ってあげて
パシャリ。
写真を撮ったあと、息子はすぐに隣の部屋にあった人工呼吸器へ入れられてしまいました。
ちなみに分娩台では眼鏡を外さなければいけなくて外したため、赤子の姿を見ることがまったくできませんでした(残念ながら視力は0.03)。
今では笑い話ですけどね。
視力が悪い人は陣痛が始まったらコンタクトにしておくといいです。後悔します。
生まれた赤子はうまく呼吸ができていなかったようでした。
大きな病院に行かないと死ぬということになりまして、すぐに大病院へ緊急搬送されてしまったのです。
その時の私はというと、一仕事終えたなあという感じで分娩台で何も考えずに脱力していました。
産まれた我が子に対して「会えて嬉しい!」というようなポジティブな感情は全く芽生えず、
産んだ…疲れた…マジで疲れた…
こんな感情しか芽生えてきませんでした。
少ししてから会陰切開した箇所を縫うのですが、
500パーセントぐらいの力を使い切ったボロボロの体には、この痛さを切り抜ける元気がもう残っておらず、悶絶するほど痛かったです。
綺麗に縫ってあげるから心配しないでね★(男性)
ちなみに会陰切開というものは出産の痛みで全く気づかないと聞いていたのですが、それは本当。まじで気づかない。
というか、そんなこと気にしている余裕がないんだ。
出産の何が痛かったかって、陣痛が痛かったです。
赤子が出てくる時のおまたは全然痛くなかった。むしろ気持ち良い(殴らないで)。
「いきむ」というのは、うんちしている時と場所がまったく同じだからなのか、
でっっっかいうんちを頑張ってふんばることを想像してもらえれば、それが出産です。
いきんでいる間はうんちも出ていたと思う。
産後1ヶ月は子宮に残った血(悪露)がけっこうたくさん出るので、
分娩台ですぐにでっかいナプキンみたいなものをつけてもらいました。
ナプキンを装着されて、なんだか赤ちゃんになった気分だなあとフワフワした気持ちになっていたら
トイレに行きたくなってきたよ…。
体がバキバキだし痛いしで動けないので看護師さんに相談したところ、
尿道から管を入れて膀胱から直接尿を出してくれました。
これがけっこう気持ちよかったのです(出産後のハイ状態だったの。許して…)。
分娩台でただ一人、幸せな空気に包まれていた
少ししてから、夫と私の父親たちは赤子を追って大病院へ向かってゆきました。
昼前に赤子を産んだのでちょうどお昼時になっていました。
助産師さんたちが、壁一枚挟んだ隣で楽しそうにお昼ご飯を食べ始めていて、
ずいぶんとのどかだったことを覚えています。
分娩台に一人残された私にもお昼ご飯が届けられました。
サンドイッチとヨーグルトと紅茶だったかなあ。
食べられるだけでいいからね。おつかれさま
ねぎらいの言葉とともに、サンドイッチたちを近くの椅子に置いてくれました。
それを食べようとしたその時、全身の痛みと疲れでまったく体が動かないことに気づきましてね。
サンドイッチに手を伸ばすことができない、起きることもできない。
時間をかけてなんとか一つだけサンドイッチを食べることができまして、
この時のサンドイッチの味とのどかな空気は生涯忘れることはないと思う。
緊急搬送で抱っこもできずに離れ離れになってしまった赤子のことを心配していたけれど、
「きっと大丈夫だ」とポジティブな感情でいられたのは、この和やかな雰囲気の病院だったからだと思います。
レトロで小さな病院だけど、この病院で産むことができて本当によかったと感じた瞬間でした。
寝ながら首だけ起こして飲んだ紅茶の味もきっと忘れない。
花柄のティーカップに入った紅茶は、少しにがくてきれいなオレンジ色でした。
終わりに
これから出産する人たちへ、私から伝えたいことがあります。
- 陣痛が始まったら、メガネは外してコンタクトにして!お願い!
- あなたが考えているよりも早く入院準備をするの大事!
- お腹がいつもと違う感じだったら、早く病院へ行くんだ!マジで!色々な意味で死ぬで!
最後まで読んでくれてありがとうございます!
続きの「軟口蓋裂の記録 PART2」は下記からどうぞ!
【軟口蓋裂の息子との記録 PART2】NICUとGCUについて
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