ごきげんよう、おふとんです。
この記事は「軟口蓋裂の息子との記録」を小分けにして記事にしています。
軟口蓋裂に関する記事も下記のリンクにてまとめておりますので、ご利用くださいませ。

前置き

今回は、産まれてすぐに入院したNICUとGCUについてのことを書いています。
NICUに入院するとどんな感じなのかが、この記事で分かります。

入院時はまだ軟口蓋裂だということに誰も気づいていませんでした。
そのため軟口蓋裂についてはあまり触れていないです。

物語風にすると必要のない情報まで盛り込んでしまう(私は話を脱線させるのが好きなのです。)ので、質問形式にしてまとめました。たぶん見やすい!

Q & A

すみませんが、まだ完成されておらず随時更新中です!
ご質問などございましたら、私のTwitterまでどうぞ!

Q. NICUって何?

新生児集中治療室」のことです。
早産だったり死にそうな状態で産まれた子たちが来る場所です。
私の解釈ですが、家で通常の育児ができない新生児が入院するところなんだと思います。
どの新生児も早くお家へ帰れることをゴールにして超がんばっていました。

私の息子がNICUを退院するための条件は
体重増加」「哺乳瓶でミルクを飲めること」でした。家で育てることができる条件です。

Q. GCUってなに?

低体重だった子の体重が良い感じになったり、状態が安定した子が来る場所です。
退院するための準備をする場所でもあります。

基本的にはNICU→GCUの流れで入院しますが
症状が軽い赤ちゃんはGCUに直接入院する場合もあるようです。
病院によっても違うのだと思います。

NICUでは、泣くとすぐに看護師が泣き止ませに来てくれましたが、
GCUでは親が抱っこして泣き止ませるような空気になります。
オムツ替えや沐浴も勝手にどんどん進めてよくなります。(NICUはそんな感じではなかった)

NICUからGCUに移るタイミングというのがおもしろいものでして、
GCUのベッドの空きに大いに左右されるようでした。
NICU内で順番待ちをしている状態です。

NICU内では、重病度によってベッドの位置が違うようでした。
つねに危険な状態の子は、看護師がすぐに駆けつけられるど真ん中。
GCUへ移動直前の息子は超はじっこに。
隣には同じように移動待ちの子がいました。

GCU内のはじっこには、2・3歳ぐらいの大きな子が一人入院していました。
NICUにいるほど重病ではないけれど、自宅で育児できるほど健康ではないのだろうと思います。

私の息子は 、GCUに移ってから一週間後に退院しました。
ちなみにGCUはNICUのすぐ隣にありました。

Q. そもそもなんでNICUに入ったの?

うまく呼吸ができなかったからです。

家の近くにある小さな産婦人科で出産

出産予定日の3週間前に出産しました。
息子は羊水の中でうんちをたくさんしていたことで羊水混濁になっており、
それが原因で陥没呼吸という症状になっていました。
応急処置で飲み込んだ羊水を肺から取り出したようなのですが、
それでもうまく呼吸ができない状態でした。
大きな病院へすぐに行ったほうが良いという判断で、すぐに救急車で運ばれてゆきました。

都内の超大きな病院へ入院

救急車で運ばれた大きな病院では

早産児
低出生体重児(といっても2400gありました!)」
先天性肺炎
新生児黄疸

という症状を告げられました。
NICUでの初日は「山場」と言われたもよう(ドラマみたい)。
自分で呼吸することができなかったそうです。

出産した私はというと、家の近くの小さな産婦人科で一人、山場とは知らずに英気を養っていました。
突然お腹に誰もいなくなる & 夫は息子の病院へ付きっきりだったので
ずいぶんと孤独感が大きかったです。

ちなみに、私と息子が入院中のこの頃の夫はとっても大変だったようです。
毎日息子へ会いに病院、私にも会いに病院、その中で出産後の手続きや、入院の手続きをしつつ、合間に仕事もこなし、毎日ヘロヘロでした。

おふとん夫
おふとん夫

倒れるかと思った。けどがんばったんだ!

おふとん
おふとん

どうもありがとう!好き!

Q. 軟口蓋裂っていつ分かったの?

NICU内で歯科検診をした時です。
入院してから一週間以上経ってからだと思います。

NICUに入院している子たちはとても小さく力が弱いため、ミルクを自力で飲めない子が多いのです。
息子もその一人で、液体用のチューブを鼻から入れて直接体に流し込んでいました。

そして体重がある程度増加してからは、哺乳瓶でミルクを飲む練習を始めます。
息子は飲むのがとても下手でした。20分で10mlも飲めない。
何度練習しても上手にはなりませんでした。

口内に何か問題があるかもしれないということで診てもらうことに。
ここで初めて「軟口蓋裂」「舌小帯短縮症」だということが分かりました。

Q. NICUに入院した期間は?

NICUとGCU(4、5日ぐらい)の入院日を合わせて25日でした。

入院当初は「1、2週間ぐらいですぐに退院できるよ」と言われていたので、
軟口蓋裂が発覚して入院期間が長引くと聞いた時は、ショックを隠しきれませんでした。

Q. お金はかかる?

乳幼児医療費助成制度(マル乳)で都が全額助成してくれました。
お金の心配が全くないというのは心理的にとても余裕が持てます。

ただ入院中のオムツやミルク代など、お世話に関する部分は助成対象外でした。
25日分で約6,000円

Q. 親は毎日行くものなの?

私はほぼ毎日行っていました。

2、3日行けない日がありましたが、
そういう時は夫が必ず行っていました。

出産して一週間後に退院した次の日からNICUへ通いました。
電車を乗り継いで通っていたのですが、
最初の一週間ぐらいは会陰切開の痛みでうまく歩けずヨロヨロ。
電車はいくらなんでも無理だと感じ、タクシーもちょこちょこ使っていました。

「産後の床上げ」という言葉もありますが、
NICUへ通う母親は産婦人科を退院後すぐに床上げですw

ちなみにNICUから帰る時には、担当看護師さんに
次はいつ来れますか?」と必ず圧力をかけて聞かれます。

小心者の私は毎度「明日来ます」と言っていましたw

Q. NICUってどんな感じなの?

心拍数などが少しでも増減しただけで機械が「ピーピー」鳴る仕組みのため、
どこかしらで「ピーピー」鳴っていて緊張感がありました。

赤ちゃんは20人ぐらいいたと思います。
1000gに満たない子も多く、透明な保育器に入っていました。
超小さい。まだ抱っこすることもできないのですが、
保育器にある穴から両手を入れてスキンシップを取ることができるようでした。

執刀医や看護師はみんな若く、
ミッフィーが散りばめられた可愛い白衣を着て仕事をしていました。

大人の入院と違うところは、24時間体制というところですかね。
新生児ばかりなので、泣いたらあやしてミルクも飲ませてオムツを替えて…
親が面会していない時間は、看護師が全てやってくれます。

息子が入院した病院は午前中〜昼過ぎぐらい、夕方〜20時ぐらいまでが面会時間と決まっていました。(詳しい時間を忘れてしまった。ショック。こういう詳しいことは公式HPには書いていない)

Q. 面会時間はどんな風に過ごすの?

沐浴やお着替え、オムツ替え、ミルクを飲ませたり、写真を撮ったり、ずっと抱っこして癒されたりしていました。

新生児へのお世話の仕方は、看護師が手取り足取り教えてくれます。
すごく心強かったです。

入院したばかりの頃は管まみれになっていたので、沐浴できませんでした。
そのため管が抜かれた後に「今日は沐浴してみようか」
という看護師の言葉が超嬉しかったのを覚えています。

写真撮影はOKでしたが、動画撮影はNGでした。

何をするにも看護師の許可が必要なので、
担当医が他の赤ちゃんを看ている時は、息子の横で座って待っているしかありませんでした。

沐浴やミルクを飲む時間は定まっていないので、
看護師さんにその日の予定を聞いて何をするのかが決まります。
すでに沐浴をしてくれていたり、ミルクを飲むのが1時間後だったりします。

なんてったって新生児ですからね、ほぼ寝ているのですよ。
1時間もあると本当になんにもすることがないです。
抱っこするか写真を撮るぐらいです。
するとどうでしょう、だんだん私も眠くなってきますw

そんな感じでグータラしていると、
「そろそろオムツ替えましょうか」と担当看護師が声をかけてくれるので、
オムツを替えたあとにミルクを飲ませる練習をするという流れになっていました。

ちなみに息子のように癇癪持ち(看護師に言われたのです)の子は、
電動式のバウンサーに乗せてあやされていました。

Q. 肌着とかオムツとか持って行くものはある?

おしりふき」のみ用意するよう指示がありました。
ここらへんは入院する病院によって違いそうな気がします。

そうだ!
搾乳したミルクを、小さな冷凍ボックスに入れて毎日持って行っていました!

[chat face=”zyosanshi.jpg” name=”助産師さん” align=”right” border=”none” bg=”gray” style=””]初めの一ヶ月で出るミルクが一番栄養があるから、搾乳頑張って![/chat]

と言われたんですけど、本当の話なんですかね…。
よく分からず搾乳を超頑張っていました。

ちなみに搾乳したミルクを入れるための母乳パックというものがあるのですが、
入院したての頃は一度のミルクの量がとても少ないので、
母乳パックは小さいものを買った方がよいです。
母乳パックは一度開けると使い切りのため、赤ちゃんの飲める量で分けます。
ここらへんは看護師と要相談です。
私はこの80mlの母乳パックを愛用していました。

私の息子はおっぱいを吸うことが一度もできなかったので、
母乳パックの使用頻度がとても高かったです。
薬局よりもネットのほうが圧倒的に安い&サイズを選ぶことができるのでおすすめです。

オムツミルク肌着タオル類は全て用意してくれています。

用意されていたオムツはムーニーの高価バージョンでした(オーガニックっぽいやつ)。
オムツやミルクはあとからきっちり請求されますので、
もっと安いオムツを持ち込むのもよかったかなという気がします。
ここらへんが気になる場合はすぐに聞いた方がよいです。

私は請求されることを知らなかったので、用意されたふわっふわの高価ムーニーを使い続けていました。息子もきっと喜んでる。

ミルクは味が固定化して慣れないように定期的にメーカーを変えていました。

NICUに入院してよかったなと思うこと

産婦人科から一人で退院することの悲しさや、
軟口蓋裂の息子とのこれからの生活を不安に思う毎日と引きかえに、
よかったと思えることもありました。

産後から1ヶ月間毎日ぐっすり眠れた

これはよかったと言わざるをえないですね。
床上げは誰よりも早いと思いますが、誰よりも体力を回復できたと思います。

3週間前に生まれてしまい、子供を迎え入れるための準備が完全ではなかったので(爪切りとかね!)
それらの買い物をすることもできました。

お世話の仕方を手取り足取り教えてもらえた

妊娠中に、母親学級というところで沐浴や抱っこの仕方などはもちろん教えてもらっていたのですが、
NICUでは実践を交えて教わることができました。
しかも分からなかったらすぐ聞ける!贅沢の極み!

「母子共に健康」という言葉の重さを学んだ

経験するということは、物事の見方の選択肢を増やします。

出産した友人や芸能人の「母子共に健康です」という報告が、
こんなにも尊くて嬉しくて最高なんだということを、出産する前の私は知りませんでした。

出産は命がけだということも分かっていましたし、
子供は障害があって産まれるかもしれないということも知っていました。
それでも、まさか自分の子供がNICUへ入院することになるとは夢にも思いませんでした。

NICUに入院していた小さな小さな子どもたちと、
ずっと寄り添う母親と父親の光景を忘れることはないでしょう。

「いつ退院できるか分からない」
「口内に器具をつける」
「言葉に障害が残る可能性があるので治療に数年かかるかもしれない」
突然言われた様々な言葉についてゆけず、
暇があればネットに答えがないか検索していた日々も忘れません。

終わりに

息子が羊水混濁で苦しい状態で産まれたことや軟口蓋裂になったのは、
母親である私が原因だと強く感じていました。

お腹の中の人間の口内は始めは左右に分かれていて、
私の息子は喉の奥が繋がることなく産まれてきました。
繋がるのは妊娠初期の頃だそうです。
その頃の私は終電間近まで仕事をしたり、時には徹夜も平気でしていました。

つわりも終わった妊娠後期になると、体調も万全になり移動はつねに早歩き。
妊娠していない時と同じような生活を送っていました。

羊水混濁もこういった積み重ねが原因で、お腹にいる息子にストレスをあたえてしまったんだ、とぐるぐる考え続けました。

でもそういった気持ちを誰かに言うことはしないと誓ったのです。
私の周りには、言ったところで責める言葉をかける人はいないと知っているから。
そんな逃げはキモいです。

自分の中で受け止めて、ゆっくりと解決していきたかったのです。

とはいうものの、もうすぐ2歳になる息子が毎日元気にご飯を食べている姿は、
私の心を柔らかい感謝の思いでいっぱいにしてくれます。
それはもう後悔の念が押し潰されて無くなるぐらいに、です!


PART3は誠意執筆中です。少々お待ちください。

軟口蓋裂の息子との記録

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