ごきげんよう、おふとんです。 この記事は「軟口蓋裂の息子との記録」を小分けにして記事にしています。 軟口蓋裂に関する記事も下記のリンクにてまとめておりますので、ご利用くださいませ。

前置き

この記事は軟口蓋裂と舌小帯のなどの手術のことや、その後の入院生活について書いています。

時間がないあなたのために、質問形式にしてなるべく簡潔に読めるように頑張っております。 もっと詳しく聞きたいことなどございましたら、おふとんTwitterお問い合わせからご連絡ください! 私たち家族だけの体験ではありますが、お答えできると思います。

Q & A【手術について】

どんな手術をしたの?

軟口蓋裂

のどちんこのあたりが左右に裂けているため、その部分を縫い合わせて元の状態に戻します。

舌小帯

ベロの裏にあるすじが短いので、そこを切ってベロを動かしやすいようにします。

中耳炎

耳に溜まってしまう膿を外に出すために、鼓膜にストロー状の管を通します。

お金はいくらぐらい払ったの?

入院、手術代は無料でした。 退院する時に、入院中のご飯代で数千円を支払いました。

おふとん
おふとん

たしか1万円はいかなかったと思う…明細書を見つけたら細かな金額のせるね、ごめんね

すぐに手術をしなかったの?

暴れたりわちゃわちゃしないよう全身麻酔でおこなうため、体重が10キロ以上必要だったからです。 息子が手術した時の体重は9キロ弱(1歳6ヵ月)で、目標には届かなかったのですが、年齢とのバランスを見て決行しました。

言葉の発育も大きく関係するため、遅すぎてもよくないということでした。

手術の時の服装は?

前開きの服を持ってきてほしいということだったので、甚平を何着か持っていきました。
入院中はずっと甚平で過ごしました。

手術時間はどれぐらいだった?

5時間でした。

朝9時から手術を開始して3〜4時間ほどで終わるという話でした。
けれど 13時を過ぎても音沙汰がなく、何かあったのかと心配になっていました。
気持ちを落ち着かせるために、待合室でひたすらiPadで塗り絵をしていた時の緊張感はこれからも忘れないでしょう。

手術当日はどんな感じだった?

手術日の前日から入院しました。
前日は手術前の検査をもろもろして過ごします。 咳をしていたり、少しでも体調が悪い場合はこの検査をクリアできません。
クリアできないと入院できない=手術もできないということだったので、入院前はドッキドキで過ごしました。

手術当日は夫と私の父親を引き連れて、息子と歩いて手術する階へ。
ここで初めて知ったのですが、大きな病院というのは手術専用の階があるんですよ。
手術するために患者さんたちが手続きをしていきます。私は手術しないのになんだか緊張してきます。

看護師さんからおもちゃを与えられつつ待っていると、 息子を施術してくれる執刀医の人たちが笑顔でぞくぞくと集まってきます。

おふとん
おふとん

なんだか映画を観ているみたい。いよいよなんだな…

と大きな覚悟をした瞬間でした。
息子とばいばいするタイミングがないまま、精鋭たち(執刀医)にわいわいと連れていかれ、息子共々あっという間にいなくなってしまいました。

残された私たちは待合室へ。 みんなで菓子パンを食べて談笑したり、スマホを見たり、仮眠を取ったりしました。

5時間後に「手術が終わったよ」と看護師さんから伝えられ、急いで先ほどの手術階へ。
手術階段へ行くと、遠くの方に移動ベッドに乗せられた息子が見えました。 下の文章は手術した日の夜にしたためたものです。残しておいてよかった。

手術の終わった息子は麻酔から覚めたばかりでぐったりしていて、鼻から耳から口から血が出ていた。唇もたらこ唇のようで顔も全体的にむくんでいた。体調がとにかく悪そうで、息子を抱っこした私はそのままベッドに座ってベッドごと大移動した。廊下やエレベーターも使ったのでなんか恥ずかしい。

「お母さんはベッドに一緒に乗って抱っこしてあげてください」ということで、息子を抱っこするために移動ベッドへ。そのまま抱っこしてベッド共々病室まで移動しました。
とにかくぐったりしていてなんの反応もなく、目は半分もあいていませんでした。

病室に戻って少し寝てからは顔色も良くなって、楽そうにしていた。痛いのか苦しいのかわからないけど、起きるたびに泣いてを繰り返した。

なんだかんだで夕方になり、夫や私の父親とはさよならをしました。
口内を手術しているので、この日はご飯なしです。そのかわり点滴を打っていました。
この日は手術でそうとう疲れたのか、起きたら泣きつつもずっと眠っていました。

ここから私と息子の辛い入院生活が始まったわけです。

おふとん
おふとん

すでに前日から泊まってるけどね!

Q & A【入院生活について】

どれぐらい入院したの?

手術前日の検査日を含めて7日間入院しました。

親も付き添うの?

言葉の通り本当に「四六時中付き添い」ます。

入院のパンフレットには 「付き添いは行なっていません。付き添う場合は書類が必要です」 と書いてあったので、おお!じゃあ息子が入院している間は久しぶりに夫と二人きりなんだなあと考えていました。 入院当日はまだどうなるのかが分からなかったので、私の1日分のお泊まり道具だけを持って向かいました。

実際は24時間の付き添いが必要でした。 付き添う場合に必要な書類というものは、強制的に書いて申請しました。驚きです。

私自身が0歳の時に「腸重積」という病気で入院したのですが、 入院した病院は「付き添いは完全に不要だった」と母親から聞いていたため、ここらへんは病院によってかなり違いがあるようです。

何を持っていった?

  • 息子の着るもの
    * 甚平数着
  • オムツセット
    * オムツのゴミは病院内で捨てることができました
  • 保護者のパジャマ
    * どうせ病院から出ないので、メイクもせずぐーたらな格好でずっといました
  • シャンプー・ボディソープ
    * バスタオルは用意してくれてる
  • 小さなタオル
    * 枕に巻いたり、歯磨き後や洗った顔を拭いたり、息子が寝る時に安心できるように側においたり
  • 歯ブラシセット
  • ウェットティッシュ・普通のティッシュ
    * マジで使いまくる。ないとやばい
  • 保護者の食べ物、飲み物
    * ペットボトル1本すら買えない状況になるので注意

入院生活どうだった?

地獄のようでした。本当に辛かったです。 突然ですが辛かったことを発表します。

母親の私しかだめになった

病院に泊まるのは私と夫で交互に対応しよう、ということになっていました。

けれど私が少しでもいなくなると息子は大泣き。ただの大泣きではなく、ただごとじゃないやつです。
手術の前日は私が泊まったので、手術日は夫が泊まる予定でした。 けれど夫が抱っこするだけで海老反り。

夫は仕事が忙しいものの、日常生活では子育てや家事を積極的にこなしてくれます。 私が1人になる時間も設けてくれて、出かけたい時は夫が息子を見ます。
そんな夫でも太刀打ちできず、手術前日と手術当日も私が泊まることになりました。

結局退院する前日の6日間を、私が泊まることになりました。もー辛すぎです。
精神が崩壊しそうになったので、最終日は泣きわめこうがなにしようが無視して夫に預け家に帰りました。息子と夫よすまん。
でも広い布団と広いお風呂は最高でした…!

外出一切禁止

24時間の付き添いのため、外出不可でした。 ちなみにちょっとでもいなくなると息子は大泣きするため、トイレに行くこともできませんでした。 最初の数日は管も通っていたので抱っこ紐を使うこともできず、息子が昼寝している最中にトイレなどを済ませていました。

隣の患者と近すぎる

6人部屋でしたのでね、カーテン越しの隣の患者との隙間は10センチぐらいでした。
通常だったらそんなに気にならないでしょう。 でもことあるごとに大声で泣く息子と一緒です。 朝も日中もそして寝静まった夜中にも泣くので、もう本当に…思い出しただけで辛くて気持ち悪くなります。

夜中に泣き出したらすぐに、抱っこ紐で息子を抱え、真っ暗な廊下を何度も何度も往復して寝かしつけました。

検査がない日は何もすることがなくずっとベッドの上です。
1歳半の子供が一日中ベッドで静かにしているわけがありません。 ちょっとでも泣き出すと動画を見せて過ごしました。

けれど、入院した病院にはプレイルームという部屋があり、赤ちゃんや子供が遊べるおもちゃ、DVDなどが豊富に置いてありました。
この部屋には本当に本当にお世話になりました。 3、4時間ぶっ通しでこの部屋にいた日もあります。

1日が長すぎる

もう長い。本当に長いです。なんもすることないんですよ、というかなんもできないんですよ。
息子はつねに何かを求めていて、ちょっとでも無視すると泣きます。 私がスマホを少しでも見ると「かまってほしい」と泣きます。LINEのひとつも送れません。
プレイルームで遊ぶこともすぐに飽きるので、また病室に戻って動画を見たり、また飽きたらプレイルーム… これを毎日毎日何度も何度も繰り返しました。

シャワーはどうしてた?

シャワールームがありました。ありがたい。
毎日朝の6時に、入りたいタイミングを記入するための紙が貼られるので、早いもの順で書きこんでいきます。夜ご飯の後のタイミングで入りたかったので、6時前にその場所で紙が貼られるのを待ち一番に書き込んでいました。

シャワー時間は30分の持ち時間があるので、その時間でシャワーをして5分前には誰もいない状態にして、次の人に受け渡します。 実際は20分ぐらいしかない上に息子と入るので、かなりてんてこ舞いでした。

タオルは病院が用意してくれていたので、シャンプーや石鹸だけを持ち込んでいました。

付き添いの人のご飯は?

買って食べます。
だいたい菓子パンか、お弁当を食べていました。

でも外出禁止なので、夫に頼んで買ってきてもらっていました。 夫が1日中仕事で来れない日は、前日に3食分の食料をまとめて買ってきてもらう感じです。

病院には大きな冷蔵庫と給湯器、電子レンジが各1つずつありました。
けれど冷蔵庫はいっぱいいっぱいでしたし、電子レンジは順番待ちになることも多く面倒だったのでほぼ使いませんでした。

子供のご飯は?いつから食べれた?

手術の翌日からもう食べ始めていました。 固形は食べれないので、離乳食に逆戻りです。

さらに口内に手を入れないように腕にバンドをつけるので腕を曲げられません。
そして1歳半の子供が布団の上でご飯を食べるなんて…考えただけで恐ろしいので、全て私が食べさせていました。

息子が食べ終わったあとに私が食べ始めると息子の感情が大変なことになるので、息子が寝ている時にこっそり食べます。
夜はお風呂も入ったりとずいぶんバタバタするので、消灯(21時)後の真っ暗な中で食べていました。
真っ暗ですが、唯一のゆったり時間です。

付き添いの人はどこで寝るの?

息子のベッドしかないので、息子の横で小さく丸まって寝ていました。本当に疲れが取れないんですよ…。
それでもだんだんと慣れてきますが、家のお布団で寝たいとずうっとずうっと思っていました。

どんな人が入院してるの?

小児病棟なので、0歳から15歳までの子どもたちが入院していました。
とはいえ、何年も入院している子は15歳になったら突然普通の病棟に行くということではないようで、そこらへんはけっこうアバウトでした。

終わりに

同じ病棟にいた10代の子と仲良くなって、抱っこ紐で息子を連れながら病院のいろんな場所でいろんな話をしました。 彼は小児病棟に長い間いるようで、さらに普通病棟への入院経験もあるようでした。(詳しくは聞けなかった。)
小児病棟の空きが少ないために普通病棟に移る話をしていたのですが「大人と入院するのは嫌だ、小児病棟がいい」と言っていました。

息子が泣き止まなかったり、または寝かしつけで長い廊下を何十周もしていると、一緒に歩いて話し相手になってくれたことが温かい思い出としてずっと残っています。

退院することを告げる時に、私は無性に涙が出そうになってしまい「優しくしてくれてありがとう」 という言葉しか伝えることができなかったことが、心残りです。

感謝の気持ちと、なんだかとても申し訳ない気持ち、きっともう会うことはないんだなあという思いが重なった瞬間でした。

すぐ隣に入院していた子のお母さんが「泣いても外に出なくて大丈夫ですよ、大変ですよね」と声を掛けてくださったこともありました。入院中にこの言葉があったおかげで、無理せずに入院生活を送れることができました。

おふとん
おふとん

入院して5日ぐらい経ったあたりはもう限界だったけどね。無理せず入院するってのは無理

そういえば、プレイルームで「今日も暇ですね…」なんてふんわりしたお話をいろんな親御さんとしましたが、子どもがどんな症状で入院しているかを話すことは一度もありませんでした。

あと、プレイルームがない病院から転院してきた親御さんもいて「本当に地獄だった」と言っていて背筋がゾッとしました。プレイルームがあってよかった…。

7日間の短い期間でしたが、濃厚な日々でした。辛かったけどな。
最終日のみ泊まった夫は

わが夫
わが夫

1日だけだったからそんなに辛くなかった

と言っていました。そうだよね…もっと泊まる日を分散したかった…。

次回は術後の病院通いや経過のことを記事にします!

こぼれ話
手術したあとから息子が一切笑わなくなりました。
プレイルームでキーボードを弾いている時も、車のおもちゃで遊んでいる時も、動画を見ている時も、とにかく全く笑いません。
退院して数日後ぐらいからやっと笑うようになりました。
おふとん
おふとん

全身麻酔で寝ている間に終わったとはいえ、痛くて辛くて大変だったんだと思う。そりゃそうだ

おふとん
おふとん

でも傷口が安定してから破裂音の「ぱ」を出せるようになって、ずっとぱ、ぱ、ぱ、と言っている息子の姿を見て感動したよ。手術してよかった!

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